平常心に戻るには「過去を受け止め、現在を受け止め、未来を受け止める」という言葉を見たが、
実にその通りだと思う。

受け止めるという作業は絶対、必要なのだ。

私はしばしば、受け止められない出来事に出くわす。

それが問題だ。

わかっている、受け止めることが必要だと、その通りだと思う。

しかし、しばしば、それができないことに出くわす。

それが動揺につながっている。

過去にある後悔の念、現在起きている出来事、想像すればするほど受け止められない未来。

たとえば過去に最愛の人を失った..

たとえば、ゴキブリが大の苦手で、現在、部屋にゴキブリがいる..

たとえば、払いきれない借金の支払いが未来を埋め尽くしている..

それでも受け止めないことには平常心の質は下がる一方だ。

完璧な人はいないというから誰でも絶対に受け止められないものがあるのだろう。



「too young to die」というポスターを座席の背中、後ろに貼っているトラックを見た。

ドクロマークとともにその言葉が飛び込んできた。

若過ぎるが故に死ぬ..

老衰の末に死が待っているイメージが普通なだけに、改めて、この言葉は面白いと思った。

老衰するということは、体力や思考能力、生きる力も衰えるということで、
衰え加減が若過ぎる人間ぐらいになると、死ぬ..ということを考えると、
これは老衰のことも言っているのではないだろうかと思う。

若過ぎるというのは、子供のよう..というのではなく、
「過ぎる」という言葉がどこかバランスが過度に崩れた状態を連想させる。

赤ちゃんは若過ぎる体力といえるが、バランスは失っていないし、
実は人生で1番バランスがとれているとも言えるかもしれない。



過去に見たアダルトビデオのことをふと思いだした。

rioという潮吹きが止まらない女優さんのことだ。

私は限界がないほどの生きる力に憧れるが、彼女の潮吹きは限界がないと思わせるほどの量と持続時間だった。

彼女の潮吹きは才能と言っても良いかもしれない。

彼女にはそういう、なんというか前向きな明るさを持続させる技術、術があると思う。

それは持って生まれたものなのか、後天的に得られるものなのかわからないが。

それにしてもあの感じは自分のなかの無理のない前向きを持続させるのにとても参考になる。



私は人付き合いが最近、全くない。

家族と家の猫ぐらいのものだ。

ふと「自分の唯一の友達」は「楽器を弾いているもう1人の自分」ということを思った。

思った瞬間、泣きそうになった。

空を見た。

雲が浮かんでいた。

泣きそうになった。

空を見た。

雲が浮かんでいた。



楽器を弾くにあたって自分なりに色々試しているが、
基本は毎日、毎回、同じものを弾くのが好きだ。

それを少しづつ、自然に改良されていくのが性に合っている。

同じ楽器を弾く友達は、毎日、新しいことを、新しいコードを、
新しいリズムを、新しい課題曲を、最低1個は試す。

私はひどく粘着質だ。

粘着して粘着する対象とどっちがどっちだかわからないぐらいに、1つになるのが好きな楽器を、
好きだからこそ、弾きながら距離を置くとまた新しい世界が開けることに気付いた。

しっかり楽器を握って、距離を置くからこそ、自分のなかに収まる。

大きな旗も好きだからといって、しがみついていたら、周囲からはなんの旗なのかが見えづらい。

踏ん張って距離を置いて掲げるからこそ、旗はなびくのだ。



楽器を弾いて、ちょっとしたことを変えるだけで、劇的に日常が変わることを痛感した。

小指を1本添えるだけで、人差し指1本抜くだけで、劇的に日常が変わることがある。

変えることのできる選択肢、引き出しは多ければ多いほど良い。

そういった意味で新しいことに挑戦し続けることはいつか、劇的に日常が変わることのできるきっかけという種を
撒いているものなのかもしれない。

自分なりにだが新しいことに挑戦し続けたいものだ。

too young to die..にならないように。

死はあるもの。

急ぐことはない。

進む意志があろうとなかろうと、死に近づいているのだ。

山の頂上からエンジンを切った原付で坂道を下っていくような軽やかさで死を迎えたいものだ。



あースッキリした。



おわり。
最後までお読みいただき
ありがとうございました。








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