体が軽い。

良いことだ。

軽いから速い。

速いけど雑ではない。

丁寧ではないが雑ではない。

淡々とした感じ。

軽くて速い時はアイルトンセナのような事故に気をつける..



過ぎることは良くない。

それが良いことであっても良過ぎることは良くない。

過ぎることは良くない。

人が増え過ぎてしまった..という考えが浮かぶ。

そして気分が落ちる。

この悪い考えにケリをつけよう。

生まれたのは私は私の意思ではないし、
人間が私の父と母が一生懸命やってきた結果、今の私がいる。

過ぎることは良くないが決してふざけてなどいないし、
一生懸命やってきたし、やっていく、自分なりに。

地球規模で見た時に1つの生き物が増えすぎることは良くないことは本当だとしても、
個人、個人で見ると、そこにはただ一生懸命生きてきた、生きている人がいる。

これは少子化の原因になっているのだろうか。

増えすぎだよなーという感覚は意外とあるのだろうか。

人は頭が良過ぎる生き物なので、
全体から見て自らの種族が増え過ぎているという感覚は
意外とあるのではないのだろうか。



私は非力だ。

生きることは戦いだ。

ドラゴンボールでいう太陽拳ぐらいしか技がない。

私は非力だ。

だから戦いを避け、無駄な戦いを避け、
危険を感じたら、できるだけ、ひきついて太陽拳を放つ。

しばし目がくらむだけのダメージなので、
なんて平和な防衛の方法なのだろうと思う。

防衛のために相手を悲惨なダメージを与えるような技よりかはマシだ。

太陽拳を極める。

勇気を持ってできるだけひきつける。

そして太陽拳を無駄使いしないようにする。

それに慣れられたら意味ないし、
充電した太陽のエネルギーは多くて過ぎることはない。

過ぎることでも良いことってあるのか。



ある日の昼間のこと。

太陽の陽射しが強くて私は長袖シャツの袖を捲くった。

袖を捲くった時に腕時計を落としてしまった。

私はそれに気付かずにその場を離れた。

しばらくして時計がないことに気付いた私は
車に轢かれた時計を発見した。

それは自分の分身のようでとても悲しかったし、
すぐに修復できないほどの混乱を招いた。

数日後、そこに大きな掛け時計を持った若者が仁王立ちしていた。

私は驚いたし、とまどったし、不思議な気持ちになった。

おー若者よ!

これは本当の話です。


語り継がれることと、石碑などに刻まれること、どっち?



鳥がいると声がでない人がいるようだ。



鳥のフンがたくさん落ちてるような場所では
なぜかオナラがでるのは何故だろう。

オナラが出やすいというか。

体内に毒素を溜めるのは良くないと思う。

鼻クソ1つ取れるだけで肩の凝りが劇的に良くなることもあるし、
とにかく詰まっているものや、有毒ガスは体内に溜めたくないものだ。



カーペンターズを聴いているが歌が上手!

歌う声の流れが暖かく、安心感があって素敵!



気分が動揺していてはダメ!

例えば、バスの出発までもう30分しかない時は
「もう」ではなく、「まだ30分もある」と考えよう!

そう捉えることで意外と上手にいくものだ。

もちろんそういう状況にならないようにすることが先決だが。



人は楽観的であるべきだと思う。

そうはなれない状況が続くのが世の中だと思うが。
それでも楽観的であるべきだと思う。

不安を見ることは必要だ。

不安が強いからといって、自分と向き合えない状況は危険だ。

でも不安に覆い尽くされることは良くない。

とくに不安に弱い私などは特にそうだ。

不安をしっかり見つめ、分析しながら、対策しながら、
そのプレッシャーにヤラれないようにする..
そこら辺のバランスが難しい。

難しくするな!

シンプルに!

シンプルにすることは実は難しい!

私のような人間には物事をシンプルにすることが物凄く難しい!



元気はやっぱり大事だ。

職場で胃がよじれるような腹痛に襲われていた時、
ある同僚の冗談で嘘のように治った。

その人は元気な人で楽しい雰囲気を大切にする人だ。

痛みが消えたのだからそれは凄いことだと思う。

薬も麻酔もなしに痛みが消えたのだから、その冗談をした同僚は凄いと思う。



おわり。
最後までお読みいただき
ありがとうございました。

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